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Category
オモヒノタケ(since 2004) 社長のブログ
靖国神社
靖国神社に行ったことはありますか?
ボクの場合の話ですが、結構何度もあるんです。
麹町や四ツ谷、市ヶ谷のあたりに行って時間のあるときは
だいたい寄ることにしています。
戦没者の追悼という行為を人生の中でやったこともなかったので
就職して何年目からか行くようになりました。
で、きょうは終戦記念日。
この日は毎年、閣僚や国会議員が参拝に訪れ、そのたびにニュースになる。
現場の記者はだいたい「公人ですか?私人ですか?」というヘンな問いに固執して投げかける。
ボクにはマスコミ連中がこの質問に固執することの意味がよくわからない。
恐らく「政教分離」の視点での質問でしょうが、一連の参拝に「公費」が当てられた場合は
法に抵触する恐れがあると思うけど、本人の立場なんざ、どうだっていいやんか!?と思ってしまう。
本当の意味で、この日本において政教分離に違反しているのは、
宗教団体が母体になっている政党の方だと思うのだが。。。そのことはどこも触れない。。。まぁいいや。
で、中国・韓国が靖国神社参拝に対し大きな抵抗を示すのは
靖国神社にA級戦犯の御霊が合祀されていることに、大きな理由があります。
もちろん、韓国の場合は併合中の皇国臣民化政策に伴う神道へのアレルギーもあることでしょう。
まぁただA級戦犯の合祀が問題視されることについて、いささか疑問も持っているボクです。
戦犯者としてつるし上げられている時の政治家たちですが、じゃあ誰が一番悪い?と問われると??
うーん・・・と本当にこまってしまう。
独裁者がモラルも何もなく、とりあえず覇権への興味だけを露骨に表して近隣諸国を
占領し殺戮しまくったら、そりゃー十分に戦犯でしょう。
かつての英・西の植民地支配なんかその最たる例ですね。
ところが。
日本の場合は、なぜ戦争に進んで行ったのか???
西欧列強との外交戦術の丁々発止の積み重ねで、戦争に踏み切ったことは歴史が語っています。
問題は、どこまでが政治的な戦術で、どこからが先を見誤った戦争だったのか?
いわゆる「軍部の暴走」と表現されるところですね。
正確には「陸軍の暴走」「関東軍の暴走」なのかもしれませんが・・・。
でも、それは誰も見極めることができないことです。できないはずです。
まぁそんな中、戦後59年、戦争に関する教育・平和教育が小学校などでずーっと続けられてます。
実際にその教育を受けてきた一人として今改めて考えると、教えられた内容へ不満があるんです。
それは「戦争をしたことの罪」や「戦争の悲惨さ」ばかりを強調していることです。
そりゃ殺戮や破壊活動を良いと思う人なんざ、世界中どこにもいませんわな。
ただ一方で、1945年以降今までにいったいどれだけの戦争が各地で起こっているか?
その「なぜ?」の議論をしない。起こっている事実を教えない。予防策を考えない。
それが不満。
「戦争」とはそもそも国際政治や外交手段の切り札です。
正確には手段たる「戦争」の対義語は「平和」という状態を表す単語じゃないはず。
「戦争」の対義語って「対話」「外交」ってニュアンスだと思いません?
これは戦前も戦後も全く変わっていません。2000年近い人間の歴史でも全く同じこと。
日本国憲法9条も「平和憲法」とは言うものの、きちんと読解すると
「戦争」を「外交手段」と定義しています。まずはこの認識が重要じゃないかなぁ?
だから各国とも軍隊を持ち、アメリカなんか21世紀になっても先制攻撃で国を破壊します。
ただ「武力による威嚇」があっても「実行」に踏み切るには、何度も何度も手続きや議論が必要。
戦後は当然のことながら国際連合の安全保障理事会の承認が必要だったり、
各国だったらその国の国会の承認が必要だったり。。。
さらには「戦争を実行した場合」の「その後」をシミュレーションする能力も当事国には必要。
だって戦後処理活動も、当事国とくに戦勝国にとってみれば義務であり責任であるわけで。
そのためには人も予算も割かないといかんわけで。その目論見を見事に失敗したバカチンが
ジョージ・ブッシュなわけさ。石油の利権に目がくらんだばっかりにね。
利害関係や各国との外交手腕、調整手腕で、人の命が今まで何度となく救われているのも事実。
こういう「戦争にまつわる現実」を無視して「悲惨さ」や「イデオロギーの押し付け」をする
教育とメディアに対して、どうしても納得がいかないんですね。現実から目をそらしているようで・・・。
子どもたちはバカじゃない。一方で今残されている課題を背負わないといかんのも子どもたち。
彼らには「考えさせる」ことが重要。悲惨さを伝えることより、
「なぜ戦争は起こるのか?」「どうやったら防げるのか?」という課題を徹底的に議論させないと
先の戦争の犠牲者も浮かばれないと思うな。
靖国神社の合祀から、なぜこんな考えに行き着くのか?
それはA級戦犯として絞首刑になった人の一人に高校の先輩がいるからです。
廣田 弘毅 福岡県輩出のたった一人の総理大臣。
外交問題にも従事し、文官で総理大臣になった彼は、政治家であったにも関わらず
「戦犯」としてGHQに殺されたひとり。彼がなぜ「戦犯」なのか?
さんざん歴史を紐解いてみても、いまだに理解できない。
彼の御霊はどこで供養してあげたらいいのかな?
供養すらまともにさせてもらえないなら、
せめて「戦争を防ぐ方法」を論理的に考える頭脳を子どもたちに教えることが、
戦死した人たちに報いることじゃないのかなぁ?
ちなみに第二次世界大戦後、各地で起こる戦争の主たる原因は
①東西冷戦
②宗教・民族紛争
だったけど、最も多い原因、そして①や②が原因の戦争にも同じく理由として挙げられるのが
③南北問題
つまり経済格差です。
「衣食足りて礼節を知る」ということわざがあります。ボクは戦争の原因はまさにここにあると思う。
1945年以前は、情報操作が戦争拡大の原因でもあったけど、今はもうムリ。
だから。これからは経済問題と外交とを学ばないと、人の命は救えない。
モラルは家族が教えること。社会が教えることは「現状」や「実利」ではないかな?
教育がイデオロギーを教えることこそ、戦前と同じ現象じゃないかなぁ???
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2 Comments
お久しぶりです。岡本です。お盆も終わってほっと一息。京都生活に戻る準備をそろそろしないといけない今日この頃です。
さて、初めてHPを見たら、靖国のことが載ってたので簡単に一言。問題点は大きく2つです。1つは神社成立の背景と目的。戦争に向かわせるための神社であり、国家権力が宗教を利用した産物で、戦後の今も残っていること。2つ目は祀られている人はすべて日本人だけであること。非戦のために全戦没者が対象ではない。祀られている人の信仰が浄土真宗であろうが、キリスト教であろうが、その意志も尊重されないのです。
葬儀や祀ることで大切なのは、残された側の「こころもち」。亡き人を「魔物扱い」するのではなく、私のいのちにつながることを「感謝」するだけです。
簡単な一言にならず済みません。また見に来ま~す。8月いっぱいはこちらにいます。ではまた。 岡本明了
残された側の「こころもち」
大事な言葉やなぁ。しみわたってきた。
「神道」が政治的に利用されたことは明白だもんね。だからこそ政教分離が謳われてるわけで。
つまり今、靖国神社を参拝することって、
「他に場所がないから」なんだと思う。
特に、自分の身内が戦争で亡くなったことでもないなら、
「なんとなく祈る場所を・・・」と思っていくんだよね。
でも亡くなった方は日本人以外にも大勢居るわけで。
そのための新たな場所は必要なんじゃないかなぁ・・・と
思ったりするんだよな。
どこで自分の「こころもち」を表せばよいのか?これにさまよい続けてるんだよな。
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お久しぶりです。岡本です。お盆も終わってほっと一息。京都生活に戻る準備をそろそろしないといけない今日この頃です。
さて、初めてHPを見たら、靖国のことが載ってたので簡単に一言。問題点は大きく2つです。1つは神社成立の背景と目的。戦争に向かわせるための神社であり、国家権力が宗教を利用した産物で、戦後の今も残っていること。2つ目は祀られている人はすべて日本人だけであること。非戦のために全戦没者が対象ではない。祀られている人の信仰が浄土真宗であろうが、キリスト教であろうが、その意志も尊重されないのです。
葬儀や祀ることで大切なのは、残された側の「こころもち」。亡き人を「魔物扱い」するのではなく、私のいのちにつながることを「感謝」するだけです。
簡単な一言にならず済みません。また見に来ま~す。8月いっぱいはこちらにいます。ではまた。 岡本明了
残された側の「こころもち」
大事な言葉やなぁ。しみわたってきた。
「神道」が政治的に利用されたことは明白だもんね。だからこそ政教分離が謳われてるわけで。
つまり今、靖国神社を参拝することって、
「他に場所がないから」なんだと思う。
特に、自分の身内が戦争で亡くなったことでもないなら、
「なんとなく祈る場所を・・・」と思っていくんだよね。
でも亡くなった方は日本人以外にも大勢居るわけで。
そのための新たな場所は必要なんじゃないかなぁ・・・と
思ったりするんだよな。
どこで自分の「こころもち」を表せばよいのか?これにさまよい続けてるんだよな。